眼科を巡る物語~第1話~
たぶん、全3話ないし5話ぐらいで完結予定。
途中で別の話題が入ったりして、飛び飛びになるかもしれませんが。
タイトルの「~を巡る」というのは、「~にまつわる」という意味と、実際に幾つかの眼科を経巡った、という意味とをかけてあります。
さて、話は今から一カ月半ほど前にさかのぼります。
何か右目の隅に黒っぽい点のようなものがちらつくな、と思い始めたのが事の起こり。
これって何だっけ……そう、確か飛蚊症とか言うんだよね。何かの眼病の予兆なんだっけ?と思ってインターネットで調べてみると、大概は特に問題はないのだが、重篤な病気の兆候である場合もあるので、急に症状が出てきた時には眼科で検査してもらったほうがいい、とか書いてある。
むむっ、心配だ。しかしまあ、大概は大丈夫だというなら、きっと大丈夫だろう、と、まずは自分に言い聞かせたのだった。
しかし、そうこうするうち、右目がどうも見えづらい、という気がしてきた。
何というか、もともと子供の頃から視力はいいものの乱視気味ではあったのだが、その乱視がひどくなったような、あるいは、そう、何か半透明の膜のようなものが微妙に目にかかっているような、はたまた、単なるかすみ目のような。
でも、それも常にではないし、目をパチパチさせたり目薬をさしたりしたら治ったり、時間帯や状況によってそんなに感じなかったりするし、まあ、大したことはないだろう、と、またまた自分に言い聞かせる。
とはいえ、やはり気になって、何度となく、「眼病」「飛蚊症」「かすみ目」などのキーワードでネット検索して、自分の目に起きていることが何か恐るべき異常であるのかどうか、知ろうとした。
そんなことを繰り返しつつ、やはり、大したことはないにしても、念のため一度眼科で診てもらうに越したことはないな、とは思ったのだが、しかし、一つには、単に何となく億劫だから、そしてもう一つには、もし万が一、本当に重い病気だったらどうしよう、という恐怖心から、なかなか病院に行けずにいた。
実は、その恐怖心を裏付けるに足ると思われる一つの根拠があって、それは、ある雑誌に載っていた、失明した方の手記に書かれていた症状。
部屋の明かりが妙にまぶしく、電灯の周りがボーッとにじんで虹色にキラキラ光って見えて……みたいなことが書いてある。
それで、変だなと思って眼科に行ったら重い病気であることが分かった、という。
で、私も部屋の電灯ではそんなことはないのだが、夜道を歩いている時に街灯を見ると、まさしくそんなふうに見えるではないか。
本当にゾッとし、まさか私も失明するのではと恐怖しつつ、そんな可能性があるのなら早く眼科に行かなくては、という焦りと、しかし、もし本当にそんな告知を受けたら、とても受け止められそうにない、という不安とが交錯して。
それにしても、霊的人生観を信奉し、肉体は仮のものということが分かっているはずなのに、重い病気かもしれないと思った時、こんなに動揺する自分ってどうなのか、とか、目が見えづらいということは、きっと心において、ものの見方が正しくないということではないか、とか、いろいろ煩悶しつつ。
そんな葛藤を心の中で一人密かに繰り広げつつ一カ月ほどが過ぎ、そして今週の水曜日の午後、やはり、何でもないのであれば症状が消えたり軽くなったりしそうなものだが、どうも、むしろ症状が進んでいるように思えて、これはまずい!と思ったわけです。
というのは、いつものお昼休みのお散歩を終えて、ちょっと暑かったので外階段の踊り場で涼んでいた時、青空を見ると、また一段と、例の黒いちらつきの数が増えた気がして、しかも、右目の上のほう、何か網状の黒い影みたいなのまでが見えてきて、これはひょっとするとやばいのでは、と真剣に感じ始めたのです。
それで、もう、今日の午後にでも、すぐに病院に行こう!と思ったのですが、行くとしたらここに、と思っていた職場近くの総合病院の眼科は、午後は予約のみであることが分かり、ではしかたがないので明日の午前中に、仕事の前に寄ることにしよう、と決めました。
これまで目はずっとよかったし、眼鏡もコンタクトも使ったことがなく、こんなに酷使しているのに視力は左右とも1・5をキープしていて、眼科なんてかかったことがないから、とても不安でした。
でも、何とか勇気を振り絞って明日は絶対に行くのだ!と、重い気持ちながら自分を奮い立たせようと必死になっていたその夜、急に風邪の症状が出てしまい、結局、病院に寄ってから出勤するはずだったその翌日の木曜日は、風邪でお休みしてしまったのでした。
さらに、その翌日の金曜日も、午前中は起き上がることができず、午後から出勤。
しかし、その総合病院は土日は休み。
不安を抱えたまま土日を過ごすのは嫌だな、と思いながら、ひとまず仕事を始めようと書類に向かったものの、目がやっぱり見えづらくて、もう精神的に仕事どころじゃなくなってきた。
ええい、午後は予約だけといっても、どうしても診てほしい!って言って頼んでみたら、観てもらえるかも!!と、半ばやけくそな決意を胸に、「ちょっと体調が悪いので病院に行ってきます!」と上司に告げ、足早に職場を後にしたのでした。
《第2話へつづく》

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昼ドラ「砂時計」について、などなど。
ちょっと面白そうだな、と思いつつ、毎日、録画しておいて観るのも面倒かな、と思って、観ないまま2週間が過ぎたのですが、内容を伝え聞くにつれて、やはり観たくなってきて、今週から観始めました。
HPをさっき初めて観て知ったのですが、原作はコミックなんですね。
なかなか面白い構成で、現在は26歳になっている幼なじみの男女がいて、男性のほうには既に婚約者がいるのだが、お互いに実は未練が残っているような状態。
で、その現在に至るまでの、中学生の頃の思い出の部分が、回想的に(なのかな?)描かれているのですが、え~と、その中学生の頃は二人はとても仲がよかったのに、現在の二人は別れてしまっていて、その間にどのような出来事があってそうなっているのかは明かされていない、というような状況。
……説明が分かりにくいですかね。
私も、まだよく分かっていないところもあるのかもしれませんが。
とにかく、その女の子のほうの生い立ちに悲しいところがあったりしつつも、その幼なじみの中学生同士のさわやかな恋愛模様が、何とも言えず、グッと来るわけなのです。
ああ、あったわ、私にも、こんな時代が……的な感慨があり♪
以上の内容にピンと来た方にはお勧めです。
あと、主題歌↓もいいのですわ~。
ひと恋めぐり
柴咲コウ,華原大輔,前嶋康明,REO
昼ドラの主題歌って、やばいですよね、毎日聞くわけだから。
ここのところ、毎日、頭の中で鳴っちゃってます。

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島田洋七『かあちゃんに会いたい』~かあちゃんもがばい!?

かあちゃんに会いたい―がばいばあちゃんスペシャル
島田 洋七
このシリーズは、いつも佐賀出身の同僚から貸してもらって読んでいる(ということは前にも書いた気がするが)。
──ふと思えば、ことほどさように、職場の人やその周辺の人など、いろんな人からすっごく多くの親切を受けすぎてるぞ、私!ということに改めて気づく今日この頃。
先日も、ようやく新しいPCが届いたはいいのだが、何とかつなげて立ち上げるところまではできたものの、あと、メールとかインターネットとかの接続が~、どうにもこうにもすっとこどっこいで、そう、左斜め前の席の某人物の助けなくしては、おそらく未だに「どこともつながってない、ただの箱」状態であったことは想像に難くない。
本当に、彼が忙しい合間を縫ってサクサクッとその接続作業を行ってくれている時は、ほとんど涙腺の縁ぎりぎりのところまで熱いものが込み上げてしまいました♪
また、先週末、右隣の席の某人物が夜食に柑橘系の果物を食そうとしているのを見て、つい、「あっ、八朔!」とつぶやいたら、「よく一目で分かりますね~」と言われたので、「だって好きなんだもん♪」と答えると、なんとなんと、「じゃあ一個あげます」と言うではないか……!
そうなの、本当に好きなんです、八朔。
甘すぎず、酸っぱすぎず、そして水っぽすぎず、皮もパリッと剥けて、食感もサクッと♪
私にとって、あらゆる柑橘類の中で最も愛すべき、べすと・おぶ・おーる・ざ・柑橘類ず、なのだった。
そして彼は本当に、一つの八朔を私に手渡してくれたのでした、「どっち道、そろそろ食べちゃわないといけないから」ということで。
確かに外側の皮は多少しなび始めてはいたが、中はとっても食べ頃でした♪
そう、それで、大好きな八朔なのですが、けっこう前に、近所のスーパーで少し安めのやつを買ってきたら、一袋に入っている四つか五つ、全てハスハスのスカスカで食べられなかったことがあり、以来、何となく嫌になって、食べていなかったのです。
久々の八朔は、文字通り五臓六腑に染み渡りましたわ~。
……えっと、そんなわけで、数々の親切を受けっぱなしで自らは何らお返しができていない私なのですが、それはまあさておき(!)、今頃になって本題に入ろうかなっと。
それで、上に挙げた本の話。
「かあちゃん」は、要するに「がばいばあちゃん」の娘なわけで、やっぱり血は争えないところがあり。
このシリーズは、どれを取ってもそうなのだが、涙あり、笑いありの中に、しっかり著者の主張が入っていて、人として真っ直ぐ生きる、正しく生きるって、こういうことなんだな、とか、人間って、家族って、こんなにあったかいものなんだな、とか、そういうのがすごく伝わってくる。
楽しく読めて、何か温かいものが心の中に残る。
考えてみれば、「かあちゃんに会いたい」っていうタイトルもすごい(ここは「がばい」と言うべきか)。
つまり、たとえば「単なるマザコンだろう」みたいに言われかねない危険性もあるわけで、しかし、それを堂々と跳ね返すだけの自信というか開き直りというか、「かあちゃんが大好きでしょうがなくて、何が悪い!」っていう力強いものを感じる。
そうだよね、誰だって、かあちゃんを大好きで、かあちゃんに会いたくてしょうがないのは普通だよね、と援護射撃したくなる。
とてもいい本です。

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宇多田ヒカル「Flavor Of Life」~新たなステージの始まり
そして、中でもやはりデビュー曲の「Automatic」がいちばん好きだ、ということも。
今回、好きな曲(というか、より正確には、心をわしづかみにされた曲、あるいはどうしようもなく心に残る曲、と言ったほうが正しいか)を合計3曲、挙げさせて頂きたい。
一つ目は、もちろんこれ。

Automatic/time will tell
宇多田ヒカル,西平彰,磯村淳,森俊之
二つ目は、これ。

Can You Keep A Secret?
宇多田ヒカル,西平彰,本田勇一郎
そして、三つ目は、ふふふ、これである。

Flavor Of Life
宇多田ヒカル,Alexis Smith,冨田謙
この曲については、本当に、嵐・松本潤の身内の者(のつもり)としては、素晴らしい曲を寄せて頂いたおかげでドラマ(『花より男子2(リターンズ)』)のほうも大好評を得ることができ、感謝の言葉もありません、的な気分ではある。
実際、普通なら、ドラマの挿入曲になったからヒットした、と言われるところを、この場合は明らかに逆で、この曲の支えがあったから、あれだけドラマが人気を得た、と言うべきであるのは間違いない(←思い切った断言)。
で、今日、この記事で何が言いたいかというと、とにかく宇多田ヒカルはすごい!という、ただただそれを述べたいに尽きるわけである。
彼女が、ごく普通に歌番組に出演したりして、ごく普通に他のアーティストたちと並んでパフォーマンスを見せているのが、何だか私には信じられない思いすらするのだ。
彼女は百年残る歌手である。
今、大人気を誇っている歌手たちも、百年後には残らない。
ただ彼女だけは確実に残る。
そう私は確信している。
それは、たとえば文学で言えば、百年後には、今、芥川賞や直木賞などを取ってそれなりに有名な作家でも、ほとんどは残らないのにもかかわらず、村上春樹だけは確実に残る、というのと同じくらいの確実さで。
私がものすごく薄弱な根拠(つまり、何となくそんな気がする、というだけの、根拠というより単なる勝手な思い込みだが)に基づいて思うのは、これまでも彼女にとって節目になる曲というのは幾つかあったはずだが、この「Flavor Of Life」も一つの節目となるべき一曲であり、ここからまた彼女の新たなステージが始まる、のではないかと。
なんかそんな気がするのよ~。
そして、これからますますものすごくいい曲をたっくさん聴かせてくれるに違いない、と思って、ものすんごく期待が高まっているわけなのよ。
彼女には、90歳まで曲を作り続けてほしい。
そして、音楽界の宇野千代として名を馳せてほしい。
きっとそうなる、ような気がする。

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映画『明日の記憶』に見る、堤幸彦監督の人間観。

明日の記憶
渡辺謙
監督は堤幸彦だが、この人は本当にすごい、ということを再確認した。
何しろ、表現に無駄がない。
それでいて、描かれるべき事柄は、おそらく全て描かれている。
(先ほど来、「絶対に」とか「全て」とか、極端な表現を多用していてすみません。こういうところに、私のエキセントリックな性格の一端を垣間見ることができますな♪)
堤幸彦監督のすごさを痛感したのは、確か2年前ぐらいだったと思うが、彼の演出した、二宮和也(かずなり)主演の舞台『理由なき反抗』を観た時だった。
予習として映画のほう(ジェームス・ディーン主演の)を観た時は、ひどく退屈で、どうということのない作品のように思えてしまった、この『理由なき反抗』も、彼の手にかかったら、恐ろしくエキサイティングで一瞬も目を離せない、極上のエンターテインメントに仕上がっていた。
飽きさせないための、面白く見せるための、さまざまに凝らされた工夫の数々。
私としては、「舞台でこういうのってあり得たんだ」的に、度肝を抜かれる演出だった。
で、この『明日の記憶』は、けっこう大人の観客たちに多く観てもらえたと思うので、それにより、彼の才能が世に広く認知されたであろうことは、もはや彼のファンであるとも言えそうな私にとって、とても喜ばしいことであった。
描かれる必要のあった幾つかのシーンの中で、特に心に残っているのは、主人公(渡辺謙)が、懇意にしている陶芸家(木梨憲武)から、たった1500円という少額のお金を、アルツハイマーという病気を抱えているがゆえに、ごまかされそうになる場面。
まさか病気の人から、そんなちょっぴりのお金を騙し取ろうとする人がいるなんて信じられないけど、たぶんそういうことは現実に起きるわけで、本人にしてみたら、それは人生の全てに絶望するに足るぐらいの衝撃度を伴っていたに違いない、と感じさせる。
そのほか、妻(樋口可南子)が友人(渡辺えり子)からもらって、居間の棚に押し込んであった施設のパンフレットが、主人公が一人で家にいる時に、稲光の中でクローズアップされる場面も、忘れ難い。
そのシーン一つ取っても、大変に分かりやすいけれども決してくどくない、堤幸彦監督の演出手法が光っていると思う。
このシーンについては、実はもう一つ思うところがある。
私は、一人とても嫌いなドラマの脚本家がいて、なぜその人の作品をそんなに嫌悪するのか自分なりに分析を試みた時に、「台詞の一つ一つ、場面の一つ一つがわざとらしく、これを伝えたい、とか、視聴者にこう感じさせたい、考えさせたい、と思っている脚本家の姿が透けて見えるのが、どうしようもなく鼻につくから」ではないかと思ったのだが、しかし、考えてみれば、上記の稲光のシーンも、そうとうにわざとらしく、観客に何を思わせようとしているか見え見えではあるのに、全然不快ではないことに気づいたのだ。
そして、結局、これはその人の人生観、人間観の問題ではないかと思うに至った。
私は、その脚本家については、作品の中に、どこか人間というものやその営みを上から見下ろしている目線を感じ取ってしまうがゆえに、どう頑張っても好きになれず、一方、堤幸彦監督については、作品の根底に、人間存在に対する限りなく深い慈愛の目があり、それは、自らもまた弱くちっぽけでどうしようもないところを抱えながら生きている存在であることを、知っているからこそなのだろう、ということが、そこはかとなく感じられるがゆえに、好きなのだと思う(長々しく読みにくい文章ですみません)。
何はともあれ、いい映画です。
繰り返すけれど、まだ観てない方は絶対に観て!!

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猫柳から猫は生まれるか?
たとえば、桜の蕾がちらほらと、一つ二つほころび始めていること。
また、白くこぼれるような雪柳の花が、今まさに満開の時期を迎えていること。
あるいは、猫柳の芽が、次第しだいに膨らんできていること。
──そして、猫柳と言えば、私はほとんど反射的にこの作品を連想します。

とってもしあわせモトちゃん
萩尾 望都
この中の、次のような4コマを思い出すのです。
【1コマ目】
女性科学者(脱いだ帽子の中に、生まれたての子猫をいっぱい入れたものを頭上に掲げ、走り回りながら)「猫柳から猫が生まれたわ!」
【2コマ目】
女性科学者(さっきと同じ格好で、今度はさっきと逆の方向に走りながら)「猫柳から猫が……」
【3コマ目】
女性科学者「ワーッ!」(泣き崩れる)
【4コマ目】
子供たち(女性科学者の様子を見ながら)「気の毒に……」
おぼろげな記憶に基づいて書いてみたので細部はけっこう違っているかもしれませんが、だいたいこんな感じです。
解説しますと、まず、この作品の主人公である「モトちゃん」とは、緑色をした不思議な生き物で、たぶん妖精と妖怪の間みたいな存在です。
そして、モトちゃんのお友達の子供たち(変な表現ですが)は、ある時、どうやらモトちゃんがそうなると信じたことは現実になってしまうらしいことに気づき、本当にそうなのかどうか実験してみようとして、モトちゃんに、「猫は猫柳から生まれるんだよ」と教え込みます。
すると、実際に猫柳から猫が生まれてしまいます(一つの芽から一匹の猫が。だから、枝にたくさんの子猫が鈴なりになる形)。
その話を聞いた、ある女性科学者は、初めはもちろん信じようとしなかったのですが、次第に「もしかしたらそんなこともあるのかも……」と思い始め、確かめにやってきます。
そして、実際に猫柳の枝に子猫が鈴なりになってミャアミャアと鳴いている姿を目の当たりにして、衝撃を受けます。
そこから、上記の4コマにつながるわけです。
そのあと、子供たちは相談して、このままだと困るからということで、「猫柳から生まれた猫は特別で、やがて羽が生えて空に飛んでいき、雲になるんだよ」とモトちゃんに教え込みます。
すると、本当にそのとおりになって、一件落着。
三十年近く前に愛読していたものなので、記憶がどこまで正確か自信はありませんが、とにかく、その「猫柳から猫が生まれたわ!」「猫柳から猫が……」「ワーッ!」「気の毒に……」っていうのが、とても「起!承!転!結!」っていう感じで印象に残っています。
で、結局何が言いたいかというと、私としては、一人でも多くの人が、猫柳の芽が膨らむのを見るたびに「猫柳から猫が……」と心の中でつぶやいてしまう、という病に苛まれてくれることを、密かに願ってやまないわけなのです。

ドラマ『華麗なる一族』における影の主人公と裏の主人公
思うに、やはりこのドラマの要となっていたのは、何といっても高須相子(鈴木京香)であった(独断と偏見!?)。
言うならば、影の主人公、といったところか。
最終回でも見応えのあるシーンがありました(このドラマ全体を通してたぶんいちばん好きなシーンだったな、私は)。
彼女がついに万俵家を去ろうとする時、本妻の寧子(原田美枝子)に呼び止められ、険しい表情で振り返る。
最後まで自分を守りきろうと、必死で虚勢を張っている感じ。
しかし、呼び止めたほうは今さら攻撃するつもりなどさらさらなく、ただ何かを伝えなければいけない気がして(たとえば「あなたが思っているほど私はあなたを憎んだりはしていない」というようなことを?)呼び止めてしまったのだが、実際、何と言っていいか分からず逡巡し、結局、やっとの思いで「お元気で」とだけ言う。
それを聞いた高須相子は、拍子抜けしたのか、ホッとしたのか、フッと肩の力を抜いて無言で立ち去る。
彼女にしてみれば、肩の荷が下りた、というのもあっただろうし、ちょっとばかばかしいような、全てが虚しいような、複雑な気持ちだったのではないだろうか。
表情と所作だけでいろんなものが伝わってくる、すっごくいいシーンだった!!と思うわけです。
で、影の主人公が高須相子なら、裏の主人公というのもいて、それはほかでもない、鯉の「将軍」だったのではないかと……!!
あの、エンドロールの流れる背後の映像の中で、背びれを見せたまま息絶えているらしき(と思われたのですが)将軍の姿。
最後の最後まで、私たち視聴者の心をがっちりと捉えて離しません。
……今思うと、鉄平(木村拓哉)が手を叩いたら将軍が現れたのを見て大介(北大路欣也)が顔色を変えた、というエピソードも、いったい何だったのかという気もしたり。
将軍という裏の主人公を中心に据えて観ると、また格別なものがある!!かもしれません。

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『花より男子2』最終回は文字通り「史上最高のプロポーズ」

花より男子2 (リターンズ)
井上真央
最終回でも、ばっちり、女の子が大好きな妄想の世界が繰り広げられていて、例によってニヤつきながら堪能しましたわ~。
それは、「雪山で遭難しかけたところへ彼が助けに来てくれて、二人で無人の山小屋に避難し、凍えながら救助隊を待つ」というもの。
しかし、このパターンの妄想は、三島由紀夫の時代からの正統的?な妄想なので(『潮騒』に確か似たような場面があったはず)、大丈夫です(何が?)。
しかも、その際に、つくし(井上真央)に関する記憶だけを失ってしまっている道明寺司(松本潤)が、劇的に記憶を取り戻すのです。
これ以上はない展開に、私のニヤニヤ笑いもとどまるところを知りませんでした。
さらにさらに、武道館での、エキストラを大動員してのクライマックスシーン。
この最終回、実に「史上最高のプロポーズ」というタイトルが付けられています。
確かにそうで、私としては、あのプロポーズはちょっと巷で流行らせたいな、という気分。
まず、「俺と結婚しろ」っていう命令形。
(正確には、「結婚してくれ!!」「俺様と結婚しろ!」「俺と結婚しろ」と3回、微妙に言い方を変えつつ……私の記憶が確かならば。)
それに対して、涙をこらえつつ、「……しょうがないな!」とOKする。
それだけでももちろんいいのですが、さらに、そのあと、こんなやり取りが(ボーッとした記憶に基づいているので、微妙に語尾など間違ってたらすみません)。
「私が幸せにしてあげてもいいよ!」
「おぉ、宣戦布告か。受けて立つ!!」
ねっ、流行らせようよ、このプロポーズ!!!!!

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パソコンに「許容範囲外」って言われちゃった♪
まあ怖い!と言いながら、どこか他人事と思っていたんですよね~。
だから、まさか、「それ」が我が身に起きようとは(爆)。
何かね、少し前から、いや、いま思えばずいぶん前から、あれ、何か変だな、調子悪いな……という気はしていたのですよ。
(この、いま使っている自宅のPCではなく、職場で使っているものの話なのですが。)
でもまあ、何とか使えているし、それなりに年季が入っているからこんなもんかな、とか自分に言い聞かせ、そろそろ買い換えどきなのか、いや、もう少し行けるはず、など自問自答しつつ、騙し騙し来ていたわけで。
ふと気づいたら、画面が、何というか、……そう、こんなたとえで通じるかどうか、「室内アンテナで観ている、やたら映りの悪いテレビ」みたいになっていて、マウスもキーボードも全然きかない。
再起動もできない。
しょうがないので電源を落とし、しばらくしてまた電源を入れる。
と、そこに現れる、日本語の文字たち。
カーソルを上下させて選べ、みたいなことを書いてあるけど、カーソルなんて全然動かない。
そうこうするうちに、勝手に起動し始めたので、おっ、大丈夫だったのかと一瞬思うものの、途中で「信号なし」とかいう表示がチラッと出て、あとは真っ暗。
しょうがないので再び電源を落とし、しばらくしてまた電源を入れる。
今度は、同様の形で立ち上がりかけたかと思うと、「許容範囲外」との文字が。
(この「許容範囲外」は、ウケてる場合ではないと思いつつ、かなり、いい味出してるな、と思わせてもらいました。)
何度繰り返しても、多少のバリエーションはありつつ、結局は真っ暗な画面で止まり、起動しない。
バリエーションというのは、たとえば、全然立ち上がる気配もなく、ただただ「信号なし」の表示が画面を上下左右、行ったり来たりするとか、起動しかけて、一瞬マウスの矢印が画面のど真ん中に現れては消え、それっきりとか、あるいは、一度だけ、英語の文で、「チェックが必要です。チェックしますか? チェックしています」みたいな内容が出ては消え、それっきりとかいうパターンもありました。
いずれにしても、どうにもこうにも、にっちもさっちも。
ただ、一度だけ奇跡的に再びなぜか立ち上がってくれたので、すぐにデータのバックアップを取り、何だかもう直ったかに思って、その日(水曜日)は安心して普通に落として帰った(更新を終えたら自動的に電源が切れます、みたいな状態で)……つもりだったのですが、昨日(木曜日)、出勤してみたら、最初の異変の時と同じ、室内アンテナで映ってるテレビみたいな画面のまま止まっていて。
昨日一日は、結局、何度試しても二度と立ち上がりませんでした。
まあ寿命かな、と思い、どの道、そろそろ買い換えたいとも思っていたし、修理するにしても、けっこうお金がかかりそうだし、というわけで、ネット通販で新しいやつを注文して、それが来週届く予定です。
で、今朝(金曜日)、もう無理だよね、と思いつつ、何げなく立ち上げてみたら、二度目の奇跡が起きて、なんと普通に立ち上がるではありませんか。
よかった~、これで、新しいのが届くまで、二度と落とさずに耐え忍び(落としたら再度立ち上がる保証はないですから~)、最後にデータとかを全部消去してから新しいのにチェンジできる~♪
立ち上がってくれなかったら、データとか消去するのも、人の手をわずらわさないと、どうにもこうにも、にっちもさっちもでしたから。
……長々と書いて参りましたが、以上のような過程を経て、いま私はとても幸福です(笑)。
パソコンが立ち上がるということ、パソコンが立ち上がった状態であるということ、これがいかに素晴らしいことであることか……!!!!!
いま、しみじみとした感謝の思いに満たされています♪

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「C1000×嵐 '07 プレミアムイベント」のCMを観て
……またまた長い前置きですみません。
そして、もう一つお詫びが♪
昨日の「予告編」(?)に続き、今日もまた、こんな時間になってしまい、しかも眠いので、やっぱり「本編」はまた後日ということで、もう寝ますっ!!(←なぜか軽くキレ気味?)
しかし、この前置きの部分だけでもどうしても書きたい!という衝動に今日もまた駆られたわけでありまして。
あぁ~、それにしても、C1000×嵐 '07 プレミアムイベントですわよ、みなさま。
CMをちらっと見かけたところ、嵐がいつになく(と言ったら語弊があるが)すごくかっこよかったのでびっくりしました……。
もう、海外進出も果たし、ドーム公演も控え、ああ、何だかどんどんメジャーになっていき(っていうかとっくにメジャーではあるが)、ますますかっこよくなっていっちゃったら、もう私の手の届かないところに行ってしまうのではないかしら(っていうか今だって別に手は届いてないぞ)、などという思いがよぎるのって、子離れができていない証拠ね、きっと……!?
やはり、ガソリンスタンドでバイトする息子(柳楽優弥)に「母はきれいになって離れていく……」とかつぶやかれるようでなきゃいけませんなぁ。
そんなわけで、寝ますわ♪
すみませんね~、いつもいつもこんな記事で(↓そして、これを入れておくのも忘れないわけで)。

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