締め切り第一弾をひとまず乗り越えて…(汗)
やや久々の更新です。
締め切りを一つ、乗り越えました……。
ちょっとホッとしています。
まあ、ホッとしている場合でもないのですが。
以下、Twitterより。
うーむ、さすがにこの週末はブログ更新できんかった。ゆうべは、寝たの、結局4時半ぐらいだったかな(汗)。「ゆうべ」ってか朝じゃん、とも言う…。朝は6時半に起きるのを断念して7時半に起床。今夜は早よ寝んと欲す。〆切ぎりぎりでした。会心の出来とは言い切れず。誤りや不備ないか心配。
一応、時間の許す範囲内で精一杯やったが、うーむ。「できる範囲で一生懸命やりました」はアマチュアの弁だし。最低でも相手先に迷惑かからぬこと、またそれに接する方々にプラスを与え得るとよいのだが…。正直、もう半日欲しかった。〆切直前の週末に想定外のことが起きたわけだが、要は自らの甘さ。
(3月2日)
そんな週末でした。
おかげで、ぽろぽろといろいろなものが漏れてしまい、たとえば3月2日(火)の「笑っていいとも!」を見逃してしまったし(まっすーことNEWSの増田貴久くんが出演したようなのですが。チェック漏れでした。……こう言ったら何ですが、それどころじゃなかったというのが正直なところで)。
また、そうこうするうちに、いつの間にかウ・ソンミンくんの公式ブログも更新されていたり。
前田さんの日記(前田敏郎の未来日記!!)も、やたら記事がバンバンUPされてるし。
もう、世の中の動き(?)に全然ついていけていません(汗)。
「太王四神記」も、続きをものすごく観たい気持ちを抱えたまま、止まっているし。
韓国語の勉強も、激しく滞っているし。
英語のクラスは、再開された途端、やたらハードだし(そうなの、先生がすごく燃えてるの。もちろん生徒も燃えてるけどね、私も含めて。使命感がメラメラと)。
そんな中、仕事もけっこう、一人密かに佳境、だったりして。
個人的には、この時期、ある意味、一年の中で一番盛り上がるのよね、実は。
今回の「締め切り」の件について言えば、とにかく、Twitterでもつぶやいたとおり、「時間の許す範囲内で精一杯やった」ことは事実なのだが、そんなのプロの弁じゃないですからね。
締め切りは、これが第一弾で、また第二弾も控えております。
おおっ……。
ほんと、力不足を感じるんだけど、そんなこと言ったらダメなのも分かってる。
プロなら、時にはハッタリもきかせなきゃ。
たとえ実は自信がなくても、自信なさげにしてちゃダメ。
自信のなさは、水面下の努力で一人密かに埋めるしかないのだ。
そんなの表に出すのはトーシロなのだ!!
ハァハァ、そんなわけで、文面にもおそらく表れているとおり、寝不足ではありますし、滞っている韓国語の勉強を埋め合わせるためにも早起きを復活させねばならぬがゆえ、この辺で寝ます。
今後とも日本という国が平和のうちにさらなる繁栄を遂げることを心から祈り、かつ、その実現のために身命を賭すことを心に誓いつつ。


↑もしよければこちらも♪♪

「テザシトレイ デ メディアジャム」
時々、止まっちゃったな~と思って様子を見に行くと、表示画面に「テザシトレイ デ メディアジャム」とか書いてあったりするの。
ねっ、可愛くない?
……あっ、何だろう、この冷たい空気は。
だって、この半角カタカナが、まず、萌えじゃないですか。
しかも、「メディアジャム」って、何となく楽しくないですか?
その上、「テザシトレイ デ」なんだもの。
「テザシトレイ」と「デ」と「メディアジャム」の間に、一つずつ、半文字分の空きが空いているところも、律儀じゃないですか。
そして、ぜひ、口に出して言ってみてください、「テザシトレイ デ メディアジャム」と。
できれば、2回、3回と、あるいは5、6回程度、連続して言ってみてください。
ねっ、楽しくなってくるでしょ?
むしろ、笑いが止まらなくないですか?
…………。
ま、それから、もう一つ可愛いのは、用紙が切れるたびに「A4ノ ドコカニ ヨウシヲ イレテクダサイ」とか表示するの。
「A4ノ トレイニ」って言えばいいのに、わざわざ「A4ノ ドコカニ」って、一体どういうことなの!?
と、いつも軽いめまいを覚えながら用紙を補充するわけなの、A4のトレイに。
「どこか」って言われたって、そこだろう、普通。
たぶん、「この際、手差しトレイでもかまいませんから、とにかくA4の用紙を入れてください」という意味なのだろうとは思うのですが。
その、「どこでもいいから、早く、早く補充してください!」という切羽詰まった感じが、う~ん、たまりません。
こんな可愛いプリンターと過ごせる日々って、まさしくちょっぴりハッピー、いや、かなりハッピーかもね。
(というより、ここは自らの変態性について、より深く思いを致すべきなのかしら……♪)


本日の誤変換
そう、二塁打ってところでしょうか。
それが連続で。
ということは、ランナー一人帰って、1点入ったってことになるのか?
前置きはほどほどにして、――そんな“二塁打”二連発とは、以下のようなもの。
一つ目――退(ど)く初速度。
二つ目――刈る異本。
そう、「読書速度」と「軽い本」。
普通にWordで打っていたのですが。
なんか、それぞれ、それなりに意味が通らなくもない気がする。
すごい、一生懸命に退(ど)こうとしている人。だって、そこにおいては初速度が重要なんだもんね。
魔女狩りならぬ、異本刈り。焚書坑儒みたいなものなんだろうか。
……何となく、その世界では、いろいろと訳の分からない苦労が多そうである。


「ナイーブ」の語意について
そのもやもやした思いを代弁してくれる文章が、ちょうど、12月6日付産経新聞「産経抄」に載っていたので、冒頭の部分を引用したい。
ナイーブという言葉を大辞林で引けば、「純真なさま。また、物事に感じやすいさま。素朴」とある。
「ナイーブな感性」といえば、普通はほめ言葉だ。
もとの英語のnaiveは、「世間知らず」「甘い」「ばかげている」といった、むしろ否定的なニュアンスを伴うことが多い。
米国の新聞記事では、けなし言葉での用例が90%以上を占めていた(『英単語のあぶない常識』山岡洋一著)。
日本語では、なぜか、いい意味の言葉っぽくなってしまっているが、そうした用例を耳にするたびに、ちょっとだけ微妙な気分になる。
でも、私はそれについては否定しない。
言葉の意味は変わっていくものだし、お互いに同意の上で、同じ意味で使うのだから、別に間違いではない。
だから、「ナイーブ」については、それはそれでよしとしたい。
ただ、私が我慢ならない(笑)のは、ちょっと話が飛びすぎかもしれないが、「フレンチキス」の誤用である。
つまり、「ちょっとした軽いキス」なんて、とんでもないぞ!!と、強く言いたい。
英語圏の人にとっての「フランス式のキス」とはいかなるものか?
それについて、私の口からここで語ることは、ひとまず差し控えたい……。
しかし、この誤用だけは、できれば撲滅したいものだと思っている。

バレンタインデー間近。我が上司に贈るべきものとは?
ふと気がつけば、世はバレンタインデー間近ですね。
……でもないか?
しかし、まあ、本気で本命ゲットを狙うのであれば、そろそろ気合を入れて戦略を練らねばなりませぬ。
いや、すでに遅いっ!
(「頑張るぞ!」「オーッ!」←先日、我が社で行われた“決起大会”での一コマ……関係なかったですね。)
先日、ある女性誌を見ていたら、「あの人に、こんなプレゼントはいかが?」みたいな記事が載っていました。
その中で、「これだ!!」と思うのがあったのです。
そこで紹介されていた、プレゼントされるべき品物とは、あの懐かしくも最近再び流行っているとの噂もちらほらな、ルービックキューブ。
そこには、こんなキャプションが。
「いつもあなたの頭を悩ませている上司に贈って、今度は逆に彼の頭を悩ませてあげましょう」
これだ、これしかない。
このページのカラーコピーを添付して(!!)ルービックキューブを贈るしかない、我が敬愛する偉大なる上司に!
しかし、彼はきっと喜んでくれることでしょう。
彼は本当に幼子のような純粋な人。
彼を見ていると、ああ、幼子のようでなければ天国に入れないっていうのは、こういうことなのかなぁと、何となく分かる気がする。
彼の前では、天国の門も、これ以上はないほど開いちゃってしょうがないんじゃないかと思ったり。
これから、日本全国のさまざまな職場で、密かにお金が集められ、若い女子が買いに走り、当日は、「日頃の感謝を込めて……」的な形でブツが渡される。
若い頃は、正直言って、めんどくさいし、ばかばかしいとも思っていたけど、今は、そういうのも、あってもいいかなと思えるようになった。
義理だろうが何だろうが、一応1個はもらえるっていうのは、それなりに、何にもないよりはマシだよね、きっと。
……ちなみに、上司にルービックキューブを贈るっていうのは、今のところ本気ではないので、ご安心下さい。
(っていうのは言わないでおいたほうが面白かったでしょうか?)

翻訳力とは念力、すなわちスピリチュアルな心の力。
翻訳していたのは、主としてテレビ番組のシナリオ。
よく、NHK教育テレビなどで、英米のドキュメンタリー番組をやっていたりするが、あの類。
あとは、映画の字幕や小説も多少は経験あり。
ともかく、翻訳を生業として、日々の暮らしを立てていた。
その中でつかんだことは、「翻訳力とは念力である」ということ。
「念力」というと少し語弊があるが、要は「心の力」という意味だ。
今はやりの言葉で言えば、スピリチュアルな力、と言ってもいいかもしれない。
もちろん、たった5年間の経験でしかないから、分かったようなことを言えた立場ではないかもしれないが、その短い経験の中で自分なりに得たものを、ここでは書いてみたいと思う。
翻訳の仕事をしていた、と言うと、たいてい、「じゃあ、英語が得意なんですね」と言われる。
そのたびに説明しなくてはならないのだが、私が得意なのは英語では決してなく、むしろ日本語のほうなのである。
もちろん、このブログを読んで頂ければ分かるとおり、「日本語が得意」などと胸を張れたものではないが、言いたいのは、私の英語力なんて、本当にお粗末なものでしかない、ということ。
まず、話すほうは、全然無理(!)。
聴くほうも、香取慎吾よりはマシなレベル。
(ごめんね、こんなところに名前を出して。
でも、この前「西遊記」見たけど、とってもよかったわ~。
あなたの演じる孫悟空は、愚かで単純で熱くて強くて、とても素敵だった。
あなたでなければ、あれだけ演じきることはできなかったと思う。
そして、今書いた四つの要素は、おそらく多くの女性が男性に求めるものだと思いますよ。
……あれ、なんでこんな話になってるんだ?)
(あっ、「多くの女性が」なんて書いたけど、そんなことないかも。
「私が」に訂正します。)
(っていうか、今日は終始まじめに書こうと思ってたのにぃ!)
で、私の英語力のお粗末さの話に戻ります。
話すのも駄目、聴くのも人並み程度(か、それ以下)、あと、英語で文章を書くなんて、もってのほか!
たぶん、文法的には合ってても、全然通じないような滑稽な文章になっちゃうはず。
読むという点に関しては、さすがに、他の三つ(話す、聴く、書く)よりはマシだとは思う。
でも、せいぜい、品詞の区別がつき、構文が理解できる程度でしかない。
語彙だって多くはない。
何が言いたくてこの文章を書いているかというと、翻訳の仕事に就きたい人、あるいは実際に翻訳の仕事に就いている人に、何らか参考にしてもらえればと思っているのだ。
つまり、英文を読んで理解する能力は、もちろん必要だ。
でも、もっと必要なものは、大きく言って二つ。
一つは、日本語力。
日本語の文章をある程度まともに書けること。
これは、案外難しいことかもしれないなって、最近思うのだ。
仕事柄、アマチュアの方の持ち込み原稿みたいなものを読む機会があるのだが、それを読んでいて、書くことを志している人であっても、きちんとした文章を書くということは、なかなか難しいものなのだな、と感じることが多いので。
(ま、私自身、その代表格かもしれないが、ね。)
そして、翻訳に必要な力の二つ目は、最初に挙げた、念力、あるいは心の力。
翻訳とは、決して、英語なら英語を、日本語に訳す、というだけのことではない。
「縦のものを横にする」だけでは、英文和訳ではあっても、翻訳とは呼べない。
英文を読む。
それを、決してそのまま日本語にするのではない。
まず、その文章の奥にある、書き手の思いに寄り添う。
そして、書き手自身になり代わって、その思いを日本語にして綴る。
それが翻訳だ。
(と、短い経験しかない私なりに思っている。
ベテランの翻訳者の方々、分かったように書いちゃってすいません~~ん!!)
実は、ある翻訳家が、同じようなことを言われているのを聴いたことがある。
「私の行っている翻訳は、非常にスピリチュアルな作業である」というようなことを言われていて、「やっぱりぃ? だよね~!」と心でつぶやいたことであった。
いや~、そんなわけで、今日書きたかったことは、
「翻訳力とは必ずしも英語力ではない!
むしろ、日本語力であり、また、心の力である!」
ということでした。
このネタはずっと書きたかったことなのですが、どうだろう、言いたいことはちゃんと伝わったかなぁ?
まあ、とりあえず、夜も更けたことだし、この辺でお開きってことで!
明日は、昔の恋人の新郎姿を見て思うことなどを、負け犬としての自己の視点から述べてみたいと思う。

萌えるゴミ、そして職場の名キャッチャー
そう、私の住んでいるエリアでは、28日を最後に、年内は燃えるゴミの収集がないわけで。
(しかし、今日は変換の具合がなかなかにGOODです。
最初に変換された字は──
「私の澄んでいるエリア」
「萌えるゴミ」
──これってポエム!?)
にもかかわらず、寝坊して収集の時間に間に合えなかった私って……
「これだから嫁に行けんのだ!!」
という声が腹の底から湧き上がるのを抑えることができないのだった。
で、我が職場の名キャッチャーT氏にその話をしたら、T氏いわく、
「いや~、年末年始が夏じゃなくてよかったですね~」
とのことでした。
まあ、それはそうなんですが。
ちなみに、「名キャッチャー」の「キャッチャー」は、ミットをはめてボールをキャッチする人ではなく、むしろ、ライ麦畑で子供たちをキャッチする人のほうの意味です。
もしくは、私の愚痴をキャッチしてくれる人、という意味でもあるのかないのか、どうなのか!!
T氏については、どんな人なのかを一言で言うのは困難を極めるのですが、試みてみますと、
「おじいさんっぽい子供と、子供っぽいおじいさんを、足して2で割ったような人」
でもあり、また、
「コアラっぽいペンギンと、ペンギンっぽいコアラを、足して2で割ったような生き物」
でもあります。
何らかニュアンス的なものが伝わってくれればと思うのですが。
そんなこんなで、最近、彼に、
「このままだと、私、いつブチッと切れて出奔するか分からない!!」
みたいな心の叫びをさんざんぶちまけたのですが、なぜか最後には笑い話になっていた……。
うぅむ、どうも解せないものはあるが、まあ、いっか、とりあえず。
あぁ~、こんなふうに喜怒哀楽が「あざなえる縄の如し」状態で、今年も暮れていくのね~。
(←またもや猫村さんを意識??)

恐るべき変換の世界
打っていたのは、ある人物の略歴の文章。
その中で、「参考書や……」というくだりがあったのですが、そこで、なぜか「い」と「ん」を打ち間違えてしまったらしく、「さんこうしょや」ではなく「さいこうしょや」と打ってしまい、そのまま変換すると、出てきたのは──
最高初夜
──の四文字。
う~む。
思わず、どうしても誰かに伝えたくなり、とりあえず、後輩の女の子にメールで伝えたところ、「変換って、おもしろいですね~」という返信が来たものの、その後、彼女の目がちょっと冷たいような気がしてならない……。
でも、初夜が最高なのは喜ばしいことですよね。[:祝:]
